
漂着したイギリス人航海士ウィリアム・アダムスは、なぜ徳川家康に仕え、伊東で日本初の洋式帆船を造ることになったのか。見知らぬ土地で橋を架けた三浦按針の生涯を、ケンとキョウコがたどります。
この番組の声は AI で作っています。
番組メモ
- 1600年、オランダ船で日本へ。家康との出会い
- 伊東での造船と、今に続く按針祭。資料で割れる点はそう伝えています
記事で読む(写真・出典つき)
三浦按針(ウィリアム・アダムス)とは — なぜ伊東で日本初の洋式帆船が造られたのか
この番組について
この番組の声は AI(ElevenLabs Eleven v4)で作っています。内容は J-Times 編集部が公式の情報と公開記事の出典で確認したものです(2026年10月26日時点)。テーマ曲: 「むすび」高橋高(アルバム『直霊 ─ NAOHI ─』)。BGM: 高橋高(Suno で制作)。J-Times は Jon&Coo Inc. が運営しています。
台本(文字起こし)
番組の会話をそのまま文字にしたものです。声は AI で作っています。
ケン:1600年の4月。ぼろぼろになった船が1隻、豊後の海にたどり着きます。今の大分県です。
ケン:船の名前は、リーフデ号。オランダを出て、大西洋と太平洋を越えてきました。錨をおろしたとき、残っていたのは、病人も含めて24人。次の日には、3人が亡くなりました。
キョウコ:24人……。長い航海の、最後の姿なんですね。
ケン:その中に、ひとりのイギリス人の航海士がいました。名前は、ウィリアム・アダムス。のちの、三浦按針です。
ケン:J-Times のポッドキャスト、つなぐ人。日本と世界の物語。語り手のケンです。
キョウコ:聞き手のキョウコです。この番組の声は、AIで作っています。お話の中身は、J-Times 編集部が、本人の手紙や、公式の情報で確かめたものです。
ケン:第2回は、三浦按針。問いは、これです。なぜ伊東で、日本初の洋式帆船が造られたのか。
キョウコ:伊豆の伊東ですよね。夏の按針祭は、知ってます。でも、なんでイギリスの人が、伊東で船を?
ケン:いっしょに、たどりましょう。アダムスは1564年、イギリスのジリンガムで生まれました。オランダの船の航海士として、東の海をめざしたんです。着いた場所を、伊東市は臼杵としています。
キョウコ:着いてから、どうなったんですか?
ケン:船で、大坂へ運ばれます。妻にあてた手紙に、こうあります。1600年5月12日、大王の都に着いた。ポルトガル語の通訳を通して、取り調べを受けた。
キョウコ:大王、って?
ケン:徳川家康のことです。家康は、国と国との、戦と和平について、こまかく尋ねました。2日たって、また呼び出したそうです。
キョウコ:いきなり、家康さんの前に。こわかったでしょうね。
ケン:言葉も通じない国です。ただ、家康から見ると、海を渡ってきた航海士は、めずらしい人でした。オランダやイングランド、スペインやポルトガルの事情を知っている。関ヶ原を目前にした家康には、手放しにくい人だったと考えられています。
キョウコ:流れ着いた人が、急に、いちばん大事な人のそばに。
ケン:家康は、アダムスに日本の名前を与えます。それが、三浦按針。按針は、水先案内人。船の進む向きを決める、航海士のことです。
キョウコ:じゃあ、三浦は?
ケン:相模国の、三浦郡です。家康は、そこの逸見、今の横須賀市に、按針の知行地を与えました。石高は、資料によって、220石とも、250石とも書かれています。
ケン:按針は手紙に、イングランドの領主のような身分で、80人から90人の農民が仕えている、と書きました。武士のしるしの、2本の刀も与えられたと、伊東観光協会は紹介しています。
キョウコ:漂着した航海士が、お侍さんに。すごい変わりようですね。
ケン:ここから、伊東の話です。来日して4年か5年たったころ。家康は按針に、小さな船を造るよう命じました。
ケン:按針は、断ります。自分は、船大工ではない、と。すると家康は、こう答えたそうです。やってみよ。うまくいかなくても、かまわない。
キョウコ:やってみよ。なんだか、いい上司みたい。
ケン:そうかもしれません。できあがったのは、およそ80トンの船。手紙には、何から何まで、わたしたちの流儀どおりに造った、とあります。家康は船に乗って、気に入りました。
キョウコ:でも、それが、どうして伊東なんですか?
ケン:じつは、按針の手紙には、造った場所が書いてありません。伊東と結びつけているのは、日本側の資料です。伊東観光協会によると、家康は、御船奉行の向井将監らを、按針といっしょに伊東へ向かわせました。
ケン:理由は、3つあると、協会は説明しています。1つめは、木材。伊東は、天城山系を背にしていて、船の木を山から運びやすかった。
ケン:2つめは、岸がすぐに深くなること。できた船を、浮かべるまでが短くてすむ。3つめは、河口の砂州。砂州を掘れば、そのまま船を組む台になりました。
キョウコ:砂を、台にするんですか?
ケン:江戸の初めの記録、慶長見聞録に、そのやり方が残っています。伊東の浜辺、川辺の砂州に穴を掘る。砂に柱を並べて台にして、船の底を組む。
ケン:組み立てが進むと、砂を掘って、船を少しずつ沈めていく。できあがったら、川をせき止めて、ためた水を一気に流し込む。そうして、船を海に浮かべたそうです。
キョウコ:機械もないのに、川の水で船を浮かべる。砂のドックですね!
ケン:まさに、砂のドックです。川の名前は、伊東観光協会は松川、伊東市は唐人川と、資料で違います。
ケン:そのあと、按針は2隻目を命じられます。こちらは、120トン。この船で、都の京から、江戸まで航海した、と手紙にあります。
キョウコ:いつごろの話ですか?
ケン:ここも、資料で幅があります。1隻目は1604年か1605年ごろ。2隻目は1605年から1607年ごろ。本人が、年を書いていないんです。
ケン:そして、この120トンの船が、海を渡ることになります。1609年9月30日。スペインの大きな船、サン・フランシスコ号が、嵐で、上総国の岩和田村の海岸に打ち上げられました。今の千葉県、御宿町です。
キョウコ:また、難破した船。
ケン:助かった人は、御宿町の記録で317人。按針の手紙では、340人か350人。数は違いますが、300人を超える人たちが、地元の人たちに助けられました。
キョウコ:言葉も知らない人たちを、浜の人たちが助けたんですね。
ケン:一行を率いていたのは、フィリピンの臨時総督だった、ロドリゴ・デ・ビベロ。1610年、家康は、按針が伊東で造った120トンの船を、ビベロに貸し与えました。
ケン:船の名は、サン・ブエナ・ベンツーラ号。幸運、という意味です。23人の日本人も乗り込み、一行は浦賀から、メキシコのアカプルコへ渡りました。
キョウコ:伊東の砂浜で組んだ船が、太平洋を渡ったんですね!
ケン:続きがあります。1611年、スペインからは大使と贈り物が届き、船の代金も支払われました。静岡市の久能山東照宮には、スペイン国王フェリペ3世が、救助のお礼に家康へ贈った洋時計が、今も残っています。国の重要文化財です。
ケン:伊東の1隻の船が、日本とスペイン、メキシコを結ぶ、最初のころの公式なやりとりの、一部になったんです。
キョウコ:遭難した人を助けて、船を貸して、お礼が届く。争いじゃなくて、助け合いでつながったんですね。
ケン:ただ、按針自身の物語は、明るいだけではありません。1611年の手紙で、按針は書いています。妻と子どもに会うため、国へ帰りたいと願い出た。でも、家康は許さなかった。
キョウコ:え、帰れなかったんですか。
ケン:帰れませんでした。大切にされることと、自由であることは、同じではなかった。按針は、そのあいだで生きた人です。
ケン:1613年、按針は平戸に来て、イギリスの商館を開くために力を尽くします。そして1620年、平戸で亡くなりました。
ケン:お墓は、平戸と、横須賀の逸見にあります。逸見の石塔は、按針の遺言で、江戸を望む場所に建てられた供養塔と考えられています。平戸では2020年、出てきた人骨が、按針本人の可能性が高い、と発表されました。別の人の可能性も、残るとしています。
ケン:伊東市は、伊東で造られた船を、日本初の洋式帆船と位置づけています。ただ、按針の手紙は、西洋式の船を2隻造ったとは書いていても、日本初とは書いていません。
キョウコ:今の伊東には、何が残っているんですか?
ケン:毎年8月の按針祭。第1回は、1947年です。海沿いには、按針メモリアルパーク。そして、ふるさとのジリンガムとは、1982年に姉妹都市になりました。今は、合併してできたメドウェイ市と、結ばれています。
ケン:臼杵、横須賀、平戸、そして伊東。按針ゆかりの4つの町は、三浦按針連携市として、つながっています。
キョウコ:ケンさん、わたし、思い出したんです。はじめて東京に出てきたとき、知り合いがひとりもいなくて。最初に話しかけてくれた、となりの席の人のこと、今でも覚えてるんです。
キョウコ:按針も、最初は、ただの、よそから来た人だった。でも、やってみよ、と言われて、やってみた。そうしたら、その人自身が、橋になっていったんですね。
ケン:いい言葉ですね。よそから来た人は、両方の岸を知っている人でもあります。だから、橋になれる。
ケン:最後に、聞いている皆さんにも、ひとつ問いかけを。あなたが新しい場所に来たとき、橋になってくれた人は、誰でしたか。そして今、あなたのそばに、来たばかりの誰かはいませんか。
キョウコ:わたしは、来月から職場に来る新しい人に、最初に声をかけてみます。やってみよ、の気持ちで。
ケン:按針の手紙、資料ごとの違い、年表と出典、写真は、J-Times の記事、三浦按針とは、にまとめています。番組の説明欄から読めます。
キョウコ:次回もお楽しみに。
ケン:つなぐ人。日本と世界の物語。お相手は、ケンと、
キョウコ:キョウコでした。またね。
