
わびさびって、結局なに? 茶の湯で育った「わび」と俳諧で育った「さび」の違い、古びたもの・足りないものを美しいと感じる理由、明日から暮らしの中で見つけるコツまで、ケンゾーとキョウコがひもときます。
この番組の声は AI で作っています。
番組メモ
- わびは「足りないことを良しとする美」、さびは「年月が与える深み」
- もとは別々の言葉。言葉の由来から、なぜ美しいと感じるのかを考えます
記事で読む(写真・出典つき)
わびさびとは — 「侘び」と「寂び」の意味と由来を簡単に、一次資料で解説
この番組について
この番組の声は AI(ElevenLabs Eleven v4)で作っています。内容は J-Times 編集部が公式の情報と公開記事の出典で確認したものです(2026年10月26日時点)。テーマ曲: 「和(WA)」高橋高(アルバム『直霊 ─ NAOHI ─』)。BGM: 「Morning Town」高橋高(Suno で制作)。J-Times は Jon&Coo Inc. が運営しています。
台本(文字起こし)
番組の会話をそのまま文字にしたものです。声は AI で作っています。
キョウコ:ねえケンゾーさん。毎朝使ってるマグカップのふちが、ちょっと欠けちゃったんです。捨てようか迷ってたら、友だちに「それ、わびさびじゃない?」って言われて。わびさびって、結局なんなんですか?
ケンゾー:欠けたマグカップ。今日の話に、ぴったりの入り口ですね。
キョウコ:ほんとですか。じゃあ今日、捨てるかどうか決めます。
ケンゾー:J-Times のポッドキャスト、和のこころ、ひもとく。案内役のケンゾーです。
キョウコ:聞き手のキョウコです。この番組の声は、AIで作っています。お話の中身は、J-Times 編集部が、茶道の家元の資料や、辞典などで確かめたものです。
ケンゾー:第2回の問いは、これです。不完全なものを、なぜ美しいと感じるのか。
キョウコ:わびさびって、古くて、地味で、しぶい、みたいなイメージです。でも、わびとさびの違いは、たぶん答えられない。
ケンゾー:そこで詰まる人は、多いんです。答えから言うと、わびさびは、簡素で足りないもの、古びて静かなものに美を見る、日本の美意識。茶の湯で育った「わび」と、俳諧で育った「さび」を合わせた呼び名です。
キョウコ:え、もとは、ふたつの言葉だったんですか!
ケンゾー:そうなんです。辞典をまとめて引けるコトバンクでも、わびと、さびは別々の項目で、わびさびという項目はありません。会話でのまとめ言葉、なんですね。
キョウコ:じゃあ、それぞれ、どういう意味なんですか?
ケンゾー:覚えやすい訳があります。英語のスタンフォード哲学百科事典は、わびを、抑えた、簡素な美。さびを、素朴な古色、と訳しています。つまり、わびは、足りないことを、それで良しとする美。さびは、年月が、ものの表面や気配にあたえる深みです。
キョウコ:足りないのが、わび。年月が、さび。それなら覚えられそう!
ケンゾー:では、なぜそれを美しいと感じるのか。ヒントは、言葉の由来です。わびは、わぶ、という動詞から。気落ちする、つらいと思う、落ちぶれる。根っこにあるのは、思い通りにならない、つらさです。
キョウコ:つらさ? 美しいどころか、正反対じゃないですか。
ケンゾー:さびは、さぶ、から。古くなる、色あせる。生命力が衰えていくさま、です。万葉集の、わびし、も、恋が実らない苦しみの言葉でした。
キョウコ:恋が実らない苦しみ。どっちも、もとは悲しい言葉なんですね。
ケンゾー:そう。その悲しい言葉が、茶の湯や俳諧の中で、美をたたえる言葉に変わった。表千家は、そこに日本人独自の美意識がある、と言います。
キョウコ:思い通りにならないものを、きれいだって思えるようになった、ってことですか?
ケンゾー:わたしは、そう受け取っています。目をそらさずに見つめたら、そこに静かな美しさがあった。では、茶の湯のわびを育てた、3人の茶人の話を。
ケンゾー:その前のお茶は、むしろ、にぎやかな遊びでした。産地の違うお茶を飲み当てて、賞品をかける闘茶。唐物と呼ばれた豪華な道具を飾り立てる、宴会の茶の湯もありました。
キョウコ:お茶で、当てっこ大会。今のイメージと、ぜんぜん違う!
ケンゾー:でしょう。そこに現れたのが、わび茶の祖とされる、村田珠光です。珠光は、こんな言葉を残したと伝えられています。月も雲間のなきは、嫌にて候。
キョウコ:雲のない月は、いや、ってことですか?
ケンゾー:皓々と輝く満月より、雲に見え隠れする月が美しい。ただ、珠光自身は、まだ「わび」という言葉は使っていなかった、という指摘もあります。
キョウコ:でも、その気持ち、わかるかも。まんまるの月より、雲がかかってるほうが、なぜか、ずっと見ていたくなる。
ケンゾー:見えないところを、こちらの心が補う。そんな楽しみ方、かもしれません。
ケンゾー:次は、武野紹鴎。堺の豊かな町衆で、若いころは連歌師をめざした人です。紹鴎は、わびを、正直に慎しみ深く、おごらぬ様、と言い表しました。
キョウコ:正直で、つつしみ深くて、いばらない。人柄みたいですね。
ケンゾー:そして、紹鴎のわびの心を表す歌として挙げられるのが、藤原定家のこの歌です。見渡せば、花も紅葉も、なかりけり。浦のとまやの、秋の夕暮。
キョウコ:花も紅葉もない。海辺の小屋の、秋の夕方。本当に、何もない。
ケンゾー:何もないことの美、です。秋の夕方、窓から差しこむ、少し弱くなった光。さびしいのに、きれいだな、と感じたことはありませんか。
キョウコ:あります。部屋がだんだんオレンジ色になって、なんだか胸が、きゅっとする。あれも、わびなのかな。
ケンゾー:そして3人目が、千利休。19歳で紹鴎に茶を学び始め、わび茶を大成して、ひとつの道にまで高めた人です。織田信長、豊臣秀吉に仕え、のちに秀吉から切腹を命じられました。
ケンゾー:長次郎の楽茶碗や、竹の茶杓、日常の道具の見立てにも、わびの美は表れました。利休のわびを表すと伝わるのが、藤原家隆のこの歌です。花をのみ、待つらむ人に、山里の、雪間の草の、春を見せばや。
キョウコ:雪間の草?
ケンゾー:花ばかり待つ人に、雪のあいだから顔を出す草の、春を見せたい。紹鴎が、何もないことを示したとすれば、利休は、何もない中に芽吹く力を示した、と言えます。
キョウコ:何もない、で終わらないんだ。そこから、ちゃんと何かが出てくる。
キョウコ:じゃあ、さびは? 古いもの、さびしいもの、ですよね。
ケンゾー:そう思いますよね。ところが、さびを理想にした松尾芭蕉の一門は、少し違います。門弟の向井去来は、師の教えを書き留めた去来抄で、こう答えています。さびは句の色なり。閑寂なるをいふにあらず。
キョウコ:色? 静かでさびしい、って意味じゃないんですか!
ケンゾー:たとえば、年をとった人が、甲冑を着て戦場で働いても、錦を着て宴の席にいても、老いの姿が、にじみ出る。にぎやかな句にも、静かな句にも、さびはある、と。
キョウコ:何を着ても、隠しきれないもの。その人が重ねてきた、年月の色、みたいな。
ケンゾー:まさに。芭蕉の一門にとって、さびは、古い物やさびしい場所という題材ではなく、詠む人の心が、句ににじむ色だったんです。
キョウコ:でも、海外だと Wabi-Sabi って、不完全の美、って紹介されてますよね。
ケンゾー:広まったきっかけは、1994年、アメリカのレナード・コーレンの本です。コーレンは、不完全で、はかなく、未完成なものの美、と定義しました。
ケンゾー:ただ、日本の資料が強調するのは、足りなさ、慎み、年月の深み。不完全さも含まれますが、真ん中ではないんです。
キョウコ:じゃあ、今日の問い。不完全なものを、なぜ美しいと感じるのか。問いの立て方が、ちょっと、ずれてたんですか?
ケンゾー:鋭いですね。欠けているから美しい、というより、足りない中の簡素さや、年月がにじませる深みを、美しいと感じてきた。その根っこには、つらさや衰えを表す、悲しい言葉があったんです。
キョウコ:あ、でも、マグカップは? 欠けたものは、わびさびじゃない?
ケンゾー:スタンフォード哲学百科事典は、わびの美意識では、きれいに繕われた割れた道具が、無傷のものより高く評価されることもある、と書いています。ただ、よく言われる金継ぎも、記事で使った日本の資料では、わびさびとは定義されていません。今の時代の連想として、楽しみましょう。
キョウコ:欠けたから、じゃなくて。毎朝、何年も使ってきた、あの色。それが、わたしにとっての、さびなのかもしれない。
ケンゾー:いい言葉ですね。聞いている皆さんにも、ひとつ問いかけを。あなたの家で、いちばん長く使っているものは、なんですか?
ケンゾー:明日、それをひとつだけ、何も置いていない机に置いて、1分だけ眺めてみてください。新品とくらべずに、年月がつけた色を、探してみる。窓から秋の光が差しこむ時間なら、なおいいですね。
キョウコ:わたしは、欠けたマグカップで、明日の朝、お茶を一杯いれます。捨てるのは、やめました!
ケンゾー:それは、立派な茶の湯のはじまりですね。
キョウコ:大げさです。
ケンゾー:3人の茶人の年表や、よくある俗説、写真と出典は、J-Times の記事、わびさびとは、にまとめています。番組の説明欄から読めます。
キョウコ:次回、第3回は、日本の祭りに参加するには。神輿や盆踊りの輪に、どうやって加わるのか。いっしょにひもときましょう。
ケンゾー:和のこころ、ひもとく。お相手は、ケンゾーと、
キョウコ:キョウコでした。またね。
