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日本が「日出ずる国」と呼ばれるのは、国号「日本」が「日の本」、つまり中国から見て日の昇る東方を意味するから。607年に隋へ送った国書の「日出処天子」を経て、8世紀初めに「倭」に代わる国号として定着した。ニッポンとニホンの読み方、日の丸の法制化までを一次資料で確かめる。
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なぜ日本は「日出ずる国」と呼ばれるのか — 国号「日本」の由来
答え(2026-09-23時点):国号「日本」は「日の本(ひのもと)」、つまり中国から見て日の昇る東の国という意味で、8世紀初めに「倭」に代わって定着した。
英語で日本を “the Land of the Rising Sun” と呼ぶのは、外国が勝手につけたあだ名ではない。ほぼ「日本」という国号そのものの訳である。「日」は太陽、「本」はもと・起こり。この名前は偶然に選ばれたものでも、「地球上で最初に日が昇る国」という主張でもない。7世紀の中国との外交の中から生まれ、その説明は中国の王朝が編んだ正史にも書き留められている。
本稿は、この話を一次資料でたどる。中国の正史(隋書・旧唐書・新唐書)、日本の『日本書紀』『続日本紀』、2009年の政府答弁書、そして日の丸を国旗と定めた1999年の法律である。資料どうしで食い違う点は、両方を示す。
「日本」という国号は、何を意味しているのか?
「日本」は「日(太陽)」と「本(もと)」からなり、「日の出るところ」、すなわち大陸から見た東方を意味する。
いちばんはっきり書いているのは、1060年に成立した中国の『新唐書』である。日本の条は、670年(咸亨元年)の遣使のあと、日本は「倭の名を悪(にく)み、更めて日本と号した」とし、使者の言葉として「国が日の出るところに近いので、それを名とした」(國近日所出,以爲名)と記す。945年成立の『旧唐書』も、「其の国、日の辺に在るを以ての故に、日本を以て名と為す」(以其國在日邊,故以日本爲名)と、ほぼ同じ説明を載せている。
日本の百科事典も、方向としては一致している。小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』は、「日本」は「日出処」に由来したらしく「東方の意味」だとする。平凡社『改訂新版 世界大百科事典』は、「日出処」が「日本」に転化していったことは「まず確かだ」と書く。
つまり国号の「日出ずる」は、地理と視点の話である。「私たちは中国の東にある国だ」ということを、堂々と聞こえる言葉で言い表したのが「日本」だった。
607年の国書「日出処天子」には、何と書かれていたのか?
607年、倭の王が隋の煬帝に送った国書は「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」で始まっていた。煬帝はこれを読んで不快に思った。
この国書は、唐の時代に編まれた隋の正史『隋書』に記録されている。『隋書』は本紀と列伝が636年に完成した(デジタル大辞泉、世界大百科事典)。その東夷伝の倭国の条によれば、大業三年(607)、王の多利思比孤(たりしひこ)が使者を遣わして朝貢した。使者は「海西の菩薩天子が仏法を重く興していると聞き、朝拝し、あわせて沙門数十人に仏法を学ばせに来た」と述べた。続いて本文は国書を引く。「日出處天子致書日没處天子無恙」。煬帝はこれを見て喜ばず、外交を担当する鴻臚卿に「蛮夷の書に無礼なる者あらば、復た以て聞する勿れ」と言った。なお、今回確認した『隋書』の本文では、国名は「倭」ではなく異体の「俀」の字で書かれている。
煬帝が怒ったのは、太陽のたとえではなく「対等」の書き方である。中国の世界観では「天子」は一人しかいない。国書はその称号を両方の君主に使った。山川出版社『日本史小辞典』も、607年の国書は対等な関係を前提とする形式をとったため、煬帝は礼に反するとしたと説明している。
日本側の記録も一部で重なる。720年に成立した『日本書紀』は、推古天皇15年(607)秋7月に大礼の小野妹子を「大唐」へ遣わし、鞍作福利を通事(通訳)としたと記す。ただし『日本書紀』は「日出処天子」の国書そのものは引いていない。代わりに、翌608年に妹子が再び渡るときの国書を載せており、そこには「東の天皇、敬みて西の皇帝に白す」(東天皇敬白西皇帝)とある。言い回しは穏やかだが、やはり並び立つ立場を示している。
「多利思比孤」が誰なのかは定まっていない。ニッポニカは推古天皇説・舒明天皇との混同説などを並べたうえで、「タリシヒコ」は当時の天皇一般を表す語だとし、聖徳太子と解するのが妥当だろうとしている。本稿では断定しない。
「倭」から「日本」へ、いつ変わったのか?
日本側の記録では、702〜704年の遣唐使が中国で「日本国の使い」と名乗っている。8世紀初めには国号「日本」は国際的に認められていた。国内でいつ使い始めたかは、まだ議論がある。
中国や朝鮮は古くから日本を「倭」と呼んでいた。平凡社の事典は、『漢書』から『隋書』までの中国の正史や、石上神宮の七支刀の銘、高句麗の広開土王碑がみな倭・倭国・倭人などと書いていること、5世紀の「倭の五王」も中国への国書で「倭国王」と名乗ったことを挙げる。
「日本」への切り替えを示すいちばん確かな記録は、797年に成立した『続日本紀』である。慶雲元年(704)秋7月の条は、唐から帰った粟田真人の報告を載せる。唐に着いたとき「どこの使いか」と問われ、「日本国の使いだ」(日本國使)と答えたという。平凡社の事典は、確かなのはこの記述だけだとし、山川の辞典は、701年の大宝律令の公式令がすでに外国の使いに対して「明神御宇日本天皇」の語を用いると定めていたことを挙げる。
それより前の「日本」の用例は扱いが難しい。平凡社は、『日本書紀』自体が国号の定まったあとに書かれ、原資料にあったかもしれない「倭」を国号に関するかぎり根気よく「日本」に改めている、と指摘する。一方、山川は、607年の国書にすでに「日出ずる処」の思想があったのだから、大宝令以前の「日本」をすべて後からの書き換えとは断定できない、とする。
中国の正史どうしでも細部は食い違う。
| 資料 | 成立 | 国号についての記述 |
|---|---|---|
| 『隋書』 | 636年 | まだ「倭(俀)」と呼ぶ。607年の「日出処天子」の国書を記録 |
| 『日本書紀』 | 720年 | 607年・608年の遣使を記録。608年の「東天皇」の国書を引く |
| 『続日本紀』 | 797年 | 702〜704年の遣唐使が「日本国使」と答える |
| 『旧唐書』 | 945年 | 倭国伝と日本伝を別に立て、国号の由来を三説並べる。粟田真人の来朝を長安三年(703)とする |
| 『新唐書』 | 1060年 | 670年以後「倭の名を悪み」日本と改めたとする。粟田真人の遣使を長安元年(701)の条に置く |
『旧唐書』は自分の迷いを隠していない。国号の由来として、①国が日の辺にあるから、②倭国が自らその名の雅でないのを嫌って改めた、③日本はもと小国で倭国の地を併せた、の三説を並べ、さらに「入朝する者は多く自ら矜大にして、実を以て対えず。故に中国これを疑う」と書き添えている。粟田真人の年次も、『旧唐書』は703年、『新唐書』は701年の条に置き、日本側の『続日本紀』は704年に帰国したと記す。
「ニッポン」と「ニホン」、どちらが正しいのか?
どちらも正しい。2009年6月30日付の政府答弁書は、「にっぽん」「にほん」は「いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」とした。
この問題は何度も蒸し返され、国会でも取り上げられた。2009年6月19日、衆議院議員の岩國哲人氏が「日本国号に関する質問主意書」を提出した。質問は、1934年に文部省臨時国語調査会で読み方が「にっぽん」に統一されたこと、1970年に佐藤栄作内閣が「にっぽん」で統一する閣議決定をしたことを前提に、その閣議決定が今も維持されているか、今後読み方を統一する意向があるかを尋ねた。
麻生太郎首相名で6月30日に受領された答弁書は短い。第一に、「『日本』の読み方については、御指摘のような閣議決定は行っていない」。第三に、「『にっぽん』又は『にほん』という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はないと考えている」。
つまり、「1970年に政府が正式にニッポンに決めた」という話は、政府自身の答弁で否定されている。1934年の決議は実在するが、拘束力はなかった。国立国会図書館のレファレンス協同データベースが紹介する文化庁『言葉に関する問答集』は、1934年に臨時国語調査会が「ニッポン」とする決議をしたが、政府で採択されず正式な決定はない、としている。ニッポニカも、郵便切手や国際スポーツ大会では Nippon と表記されるが、一般的とは言いがたく法的根拠もない、と書く。なお、1934年の機関名は、質問主意書と国立国会図書館の記録では「臨時国語調査会」、ニッポニカでは「臨時国語審議会」となっている。
日常の言葉では、複合語ごとに慣用で読みが決まっていることが多い。同じ国立国会図書館の記録は、NHK が「日本」を含む語の読み方を決めていること、「ニッポン」のほうが力強く響くため応援などで使われることがあると紹介している。
日の丸はなぜ赤い太陽で、いつ正式な国旗になったのか?
日の丸は太陽をかたどったもの。1854年に日本の船の印として採用され、1870年の商船規則で寸法が定められ、法律で国旗と定められたのは1999年である。
法律上の名前は「日章旗」。デジタル大辞泉は日の丸を「白地に、太陽をかたどった赤い丸を描いた旗」と定義し、ニッポニカも日章旗は太陽を象徴したものだとする。
流れを整理すると次のとおりである。
- 1854年:神戸大学の海事資料館年報に載った論文によれば、嘉永7年(1854)7月11日、幕府は異国船と紛れないよう「日本惣船印は白地日之丸幟」を用いるよう布告した。ニッポニカも1854年(安政元年)とする。
- 1870年:明治政府の商船規則(明治3年太政官布告第57号)が国旗の寸法を示した(国立国会図書館レファレンス協同データベース、ニッポニカ)。
- 1999年:「国旗及び国歌に関する法律」(平成11年法律第127号)が8月13日に公布・施行された(衆議院 制定法律情報)。第1条は「国旗は、日章旗とする」。別記で、縦は横の3分の2、日章の直径は縦の5分の3、中心は旗の中心、地は白色、日章は紅色と定める。附則は、当分の間、縦横比10対7、日章を旗竿側に横の100分の1寄せた旧来の寸法も使えるとしている(e-Gov法令検索)。
内閣府は、法律が成立した1999年8月9日の内閣総理大臣談話を公開している。談話は、日章旗と君が代はすでに慣習法として定着していたとし、今回の法制化は「国民の皆様方に新たに義務を課すものではありません」と述べている。
年表:「倭」から「日本」へ
| 年 | できごと | 出典 |
|---|---|---|
| 600年 | 最初の遣隋使(『隋書』にのみ記録) | ニッポニカ、山川 |
| 607年 | 「日出処天子」の国書 | 『隋書』、『日本書紀』(遣使)、平凡社 |
| 608年 | 「東天皇敬白西皇帝」の国書 | 『日本書紀』、平凡社 |
| 701年 | 大宝律令の制定 | デジタル大辞泉、日本国語大辞典 |
| 702〜704年 | 粟田真人の遣唐使が「日本国使」と名乗る | 『続日本紀』、平凡社、山川 |
| 1854年 | 幕府が白地日の丸を日本の船印に | 神戸大学論文、ニッポニカ |
| 1870年 | 太政官布告第57号で国旗の寸法を示す | 国立国会図書館、ニッポニカ |
| 1934年 | 国語調査会が「ニッポン」を決議(政府は不採択) | 国立国会図書館、ニッポニカ |
| 1999年 | 国旗及び国歌に関する法律 | 衆議院、e-Gov、内閣府 |
| 2009年 | 政府答弁書「にっぽん」「にほん」どちらも可 | 衆議院(質問主意書・答弁書) |
よくある質問
Q. 「日出ずる国」とは、日本が世界で最初に日の出を迎えるという意味ですか。 A. 違う。中国の正史は、国号の由来を中国から見た位置、「日の出るところに近い」ことで説明している。方角の話であって、世界で最初に朝を迎えるという意味ではない。
Q. 英語の “Japan” はどこから来たのですか。 A. 定説はない。平凡社の事典は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』が日本を Zipangu、Jipangu などと書いたこと、Japan などの呼び名については中国の華北音に基づく説と華南音に基づく説があることを紹介している。ニッポニカも定説があるわけではないとする。
Q. 「日本」以前、日本は自分の国を何と呼んでいたのですか。 A. 国内ではおもに「やまと」、ほかに大八洲(おおやしま)などの美称があった。中国に対しては「倭」を用いた。ニッポニカと山川の辞典は、「倭」の字が「やまと」と訓まれるようになったことを記している。
Q. 607年の国書を書いたのは聖徳太子ですか。 A. 多くの概説は聖徳太子の外交として説明し、平凡社・ニッポニカも太子の主導としている。ただし『隋書』が差出人として記すのは「多利思比孤」だけで、それが誰かについては説が分かれる。
Q. 正式な読み方は法律で決まっていますか。 A. 決まっていない。2009年の答弁書は「どちらか一方に統一する必要はない」とし、ニッポニカも Nippon 表記に法的根拠はないとしている。
出典・確認日(すべて2026-09-23に確認)
- 『隋書』巻81 東夷伝 倭国(維基文庫の本文)— https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%9A%8B%E6%9B%B8/%E5%8D%B781 (一次資料:原典)
- 『旧唐書』巻199上 日本伝(維基文庫)— https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%88%8A%E5%94%90%E6%9B%B8/%E5%8D%B7199%E4%B8%8A (一次資料)
- 『新唐書』巻220 日本伝(維基文庫)— https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8/%E5%8D%B7220 (一次資料)
- 『日本書紀』巻第22 推古天皇15〜16年(維基文庫)— https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E5%BB%BF%E4%BA%8C (一次資料)
- 『続日本紀』巻第3 慶雲元年7月(維基文庫)— https://zh.wikisource.org/wiki/%E7%BA%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B4%80/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E4%B8%89 (一次資料)
- 衆議院「日本国号に関する質問主意書」(平成21年6月19日提出、質問第570号)— https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a171570.htm (一次資料)
- 衆議院「衆議院議員岩國哲人君提出日本国号に関する質問に対する答弁書」(平成21年6月30日受領)— https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b171570.htm (一次資料)
- e-Gov法令検索「国旗及び国歌に関する法律」(平成11年法律第127号)— https://laws.e-gov.go.jp/law/411AC0000000127 (一次資料)
- 衆議院 制定法律情報「国旗及び国歌に関する法律」(法律第127号、平11・8・13)— https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/housei/h145127.htm (一次資料)
- 内閣府「「国旗・国歌」について」(法律本文、平成11年8月9日の内閣総理大臣談話)— https://www8.cao.go.jp/chosei/kokkikokka/kokkikokka.html (一次資料)
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「「日本」を「ニホン」「ニッポン」と発音する時…」— https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000195225
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「明治3年1月27日太政官布告…(日の丸)」— https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000042150
- 杉浦昭典「船舶旗について」『海事資料館年報』12号(神戸大学、1984年)6–7頁 — https://hdl.handle.net/20.500.14094/81005923
- コトバンク「日本」(日本大百科全書、改訂新版 世界大百科事典、山川 日本史小辞典、デジタル大辞泉)— https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC-109930
- コトバンク「遣隋使」(日本大百科全書、世界大百科事典、山川 日本史小辞典、デジタル大辞泉)— https://kotobank.jp/word/%E9%81%A3%E9%9A%8B%E4%BD%BF-60749
- コトバンク「日の丸」(デジタル大辞泉、日本大百科全書)— https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E3%81%AE%E4%B8%B8-167399
- コトバンク「隋書」「旧唐書」「新唐書」「日本書紀」「続日本紀」「大宝律令」「粟田真人」(成立年・遣唐使の年次)— https://kotobank.jp/word/%E9%9A%8B%E6%9B%B8-82942 / https://kotobank.jp/word/%E6%97%A7%E5%94%90%E6%9B%B8-55641 / https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8-82326 / https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80-110190 / https://kotobank.jp/word/%E7%B6%9A%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B4%80-80186 / https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%AE%9D%E5%BE%8B%E4%BB%A4-92014 / https://kotobank.jp/word/%E7%B2%9F%E7%94%B0%E7%9C%9F%E4%BA%BA-28983
文・J-Times 編集部(2026-09-23時点の情報)
アイキャッチ画像: Takashi Hososhima / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0 (https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sunrise_in_Inubosaki_(9027196940).jpg)
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